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2011年6月アーカイブ

「重み増したキャンドルナイト」
読売新聞オンラインでの記事です。

銀座の画廊で、ろうそくの灯りをもとに絵画を鑑賞しようというこの催し。
発端となったのは、カナダで行われた、原子力発電所建設に反対する自主停電運動でした。

日本でのキャンドルナイトは2003年に始まりましたが、
震災が機となった今年はよりいっそう、キャンドルのあたたかみが切実に感じられるようです。


私の作品の2つには、気付くか気付かないか程度に、キャンドルが描かれています。
ほとんど流れのない川に静かに光る無数のともしび。
夏を前にした暑い庭のテーブルに、ひとつ置かれた四角のあかり。
何故か、意図せず自然に手が描いたモチーフです。
大災害を前にして、人のできることなどささやかなことですね。
でも絵の中にあかりを灯すことくらいなら、わたしにも...。


昨夜、久々にろうそくの灯で夜を過ごしてみました。

ああ、火って、ゆらぐんだなあ...
と、当たり前のことだけど、思いました。

人の心もゆらぐ。自然から生まれたものだから、みな、ゆらぐ。

確固としたものにあこがれたり、頼りたかったりするけれど、これでいいんだ、
これが自然で、当たり前で...。ああ、そうなんだなあ、と思ったりします。



1950年。世界中が第二次世界大戦からの復興を果たそうとしていたとき
4回目のサッカーワールドカップが、ブラジルで開催された。

ブラジルは強く、観客の支持は絶大だった。

グループリーグ最終決戦は、開催国ブラジルとウルグアイの戦いだった。
スタジアムには20万人の観客。ブラジルの勝利を見届けるための熱狂に包まれていた。
完全にアウェーで戦うことになったウルグアイ選手。
彼らがフィールド入口で立ったとき、ウルグアイのキャプテンは選手らに向かってこう言ったという。

観客を見るな 土を見ろ

ウルグアイは2-1で勝負を制した。
後半34分にウルグアイのFWギジャが逆転のシュートを決めたとき、
20万人の観客は水を打ったように静まりかえったという。


震災から今日で3ヶ月が過ぎて、身の回りであきらかな変化が起きつつある。
それらの変化はすべて人ごとでなく、私たちは厳しい選択を迫られている。

そんなとき、この言葉が私たちを厳しく問い、
また、励ましてはくれないだろうか。

私たちは土を見てきたか。
自身の足取りを振り返って見ろ。誇りを持って後世に伝えられるか。
観客ばかりを見てこなかったか。
高いところから騒ぎ立てる者たちに心乱されていないか。
少しも傷のつかないところからの圧力に耳を貸し、身一つで戦う勇気をくじかれていないか。

土を見ろ。私たちはずっとこの土の上を歩いてきた。
この土はどこへ続いているのか。考えろ。
私たちがこの先も、この土の上を歩いて行きたいならば。




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