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2011年11月アーカイブ

司馬遼太郎の「坂の上の雲」をNHKドラマで見た人は多いだろう。
美しい山上の道が、光る雲へと続いていくエンディング。
今回歩いたのはまさにその道。

白馬大池から白馬岳へのルートの途に、小蓮華山(2766m)がある。
駅前で手にしたパンフレットで、この小蓮華山が、上述の映像のロケ地であると記されていた。
私はそれを偶然目にするまで、まったく知らなかったから、
あこがれを誘うあの道が自分が歩くルートにあると知って驚いた。
いつか歩いてみたいと思っていた道が早くも目の前に現れている。
出会いというものは人であれ物であれ、こんな風に予告もなく現れるものだ。


白馬大池山荘の朝。窓の外には厚いガスが広がっている。
山荘前のテン場では色とりどりのテントが手際よくたたまれてゆき
ゴアテックスに身を包んだ登山グループたちが出発の準備を整えている。
私は5時に朝食を摂り、5時半にさっさと出発。
このあたりも一人なので気楽なもの。ぐずぐずしない。

行く手は既に森林限界を超えた美しい超越の地となっており
巨大な鯨のようにゆっくり進む雲の真中を、足元を確かめつつザクザクと進む。
時折雲の切れ間に遠く近く、雪を湛えた山の腹が白く光る。
小気味良く登りを楽しみ、軽く体が汗ばんできたところで振り返ると
白馬大池は早や、はるか下方に湖面を湛えている。
湖岸北、白馬大池山荘の赤い屋根が小さい。

小蓮華山へ続く登りは雷鳥坂と呼ばれている。
茂みの向こう側からひょこひょこと雷鳥が現れそうな雰囲気がいかにも漂っていて楽しい。
日本海側からの雲がここで雨を降らすのだろう。このあたりは高山植物も多い。
コマクサ、チングルマたちが高所の風にひっきりなしに吹かれて揺れている。
朝露を受けて細かな水滴をダイヤのように散りばめている花々。
天上にはイワツバメが舞う。空気はどこまでも冷たく、静か。
このような道が「坂の上の雲」の道なのだった。
雲の中に入ったり出たりしながら、いつまでも続いてほしい道を登る。


頂上に鉄の剣が指された小蓮華山を過ぎると
新潟・富山・長野の境となる三国境という地に至る。
ここから1時間もせずに白馬岳山頂にたどり着くが悪天候のため眺望は得られず。
この先白馬三山と呼ばれる杓子岳、鑓ヶ岳を歩いても良いのだが、
小蓮華ルートの楽しさが心にあって、歩を進めるのが惜しい気もする。
白馬山荘で少し休んでからもう一度白馬岳を目指してみようと思い、
小一時間ほど小屋の部屋で横になる。
相部屋の人々が入ってくる音でまどろみから醒めると、なんと窓の外の雲に切れ間が。
鉛色の雲が流れ飛び、澄んだ青い空が高く広がり始めている。
ああ、待っていて良かった。
いま白馬岳に登ればきっと美しい景色がある。
ザックから簡単な装備だけ取り出して身軽に登れば山荘から15分で山頂に着く。
登っているうちにも空はみるみる晴れて、さらに昂揚する。
西側はゆるやかな傾斜が広がるが
東側はきりたった崖のような山頂である。
何匹ものツバメたちが喜びの表現のように美しい弧を描いて高く低く飛んでいる。
360度に広がる眺望を見渡し、顔を真上に向け、瞳でツバメを追っているうちに
崖に落っこちそうになり、しりもちを着く。
しばらく崖のきわで、そのままぼうっとしている。
うっかりと死にそうになった。
ばかだなあ、と自分を叱りながら、
でもその後で、じんわりと幸福に包まれる。


白馬岳(2932m)は日本百名山のひとつ。
でも私には山の価値は百名山であることには由来しない。
歩いた道のり。雨風を受けて咲く花や息づく動物たち、山を包む大気そのものを含めての、自然というものの価値。
そしてその大いなる自然と、自然のごく一部である人が関わるという価値なのだ。
私にとってはこの白馬登山は白馬岳にあるのではなく、
さみしげな暗い湿原の中に、
山を愛する人々の言葉の中に、
人知れず揺れているワタスゲの白い穂の中に、
イワツバメが空に描く円の中にある。
坂の上の雲の主人公達には目的地があったのだろうか?
彼らもまた、時代の昂揚の中に生きていた。
隣に死があり、孤独があったが、同時に
おおきな何かの中に生きているという魂の充実があっただろう。
それは彼らの生き方、平坦ではない道を自分の足で歩くという
意志と行為から生まれる価値なのだろう。


私は白馬山荘に一泊した後、
天候悪化の判断により白馬三山の縦走はあきらめて
翌朝早々に白馬大雪渓を下って下山した。
惜しい気持ちはない。
山は決して動かずに、また何者かが訪ねてくる日が来るのを
何千年も、何万年も待っている。





この夏は、北アルプスへ行った。
大学ではワンダーフォーゲル部だったので
グループでは縦走をしたことがあるが、独りでの縦走は初めてになる。
初ルートでもある。
大げさに言うと単独初縦走。
さて、無事行って来られるか?


昨年も訪ねた八方尾根自然研究路にまず足を運ぶ。
通常、唐松岳から不帰キレットへと縦走をしていくルートをとるのが多いルート。
私は日程の都合上いったん里へ下りて栂池方面から今回の大きな目的地のひとつ、風吹大池へ向かう。


北アルプス最大の山上湖、風吹大池の標高はおよそ1800m。
栂池から美しい天狗原へ登り、北に進路をとる。
湿地らしい、ぐずぐずして細かいアップダウンを繰り返す千国揚尾根を3時間近く歩く。
ここは眺望もほとんどなく、あまり愉しい山歩きとは行かない。
ほとんど誰ともすれ違わないし、どことなく裏寂しい北アルプスの陰色をかんじる。

そのうちに風吹手前の風吹天狗原に着く。
暗い千国揚尾根を休みなく歩いてきた者の目には
風吹天狗原の一面のワタスゲは天国に見える。
ひらけた視界のすみずみまで真白のやわらかいワタが、風に吹かれて波打っている。
なんともやさしい風景。
ここに独り立っていることの幸福に包まれる。
ここまで来れば風吹山荘はつづれ折りの道を降りるだけで、もうすぐ。

風吹へは人があまり行かない。
アクセスの良い場所とは言えないし、縦走ルートからは離れている。
主稜線から離れることで静かな山歩きが楽しめるから良いと
白馬岳まで登らず、風吹の山小屋に泊まってゆっくり写真などを撮っていく人も多い。
宿に泊まったのは私を含め5人ほどだったが、そうした趣向の山旅の人々がほとんどであった。


翌朝は池を一周するがもうひとつ天気が悪く、
池は空を映すので風吹大池も空の気分のまま、どんよりとした顔つきをしている。
山荘で食卓を囲んだ旅人に勧められて池奥の花畑「神ノ田圃」まで行く。
細かな花々が美しいが、残念ながら昨日の風吹天狗原ほどの感激をもって迎えることはできない。
天候が心配であり、これからまた千国揚尾根を登って主ルートに戻り、夕方前には白馬大池に着いていたい。
山荘の主人はゆっくり立てば充分だと遅立ちを勧めるが
風吹大池をすべるように流れる雨のような色の雲を横目に見て、足早に去ることにする。
やがて風吹山荘の主人が池の周遊路に伸びた竹を伐る音が後ろから聞こえてきた。


風吹山荘で一泊の後はメインルートに戻って白馬大池へ。
やはりメインルートの楽しさというのは確実であった。
大きな岩を飛ぶように足場を目測で選び進み行く爽快感。
7月でも残雪、白馬乗鞍岳のトラバースも楽しい。
天候がかなり崩れて来ているので、実際には短い雪道ではあったが
ガスで全く先が見えずにずいぶん苦戦する。目印に張られたロープが頼りになる。
軽アイゼンを装備したグループと何回も行き交う。
アイゼンがないとやはり滑るから、一歩に力が入りにくい。

広々とした台地に出るがここで遠雷が聞こえ始める。
そうなるだろうと予感していた。
ともかくゴアテックスをさっと着込んで先を急ぐことにする。
ゴツゴツした大きな安山岩が白馬大池へ向けて長く続く。
それを無心でひょいひょいとこなしていく。


昨年も唐松岳の帰りで雷に出会った。
あのときは雷雲が下から上へと迫ってきて怖かった。
でも、自然の中にいることが嬉しかった。
昨年歩いた八方尾根のすばらしさが忘れられず、
また今年も白馬方面へ来てしまったのだ。
山上に誰のためでもなく空を鏡に映す八方池のたたずまいに
なにやら胸の奥がざわざわと風が吹くようにさざめいて
家に帰ってからも、机上に山の地図を広げては
次はどのルートで歩くか、次はこの池も見るかと
ルートを白紙に記入しては架空の旅路に心を通わせていた。


雨に打たれ歩くうちに、白馬大池山荘に到着する。
雷の緊張から放たれて、安堵感があったのだと思う。
小屋の入り口で、受付をとりあえず済ませた後、
泥よけのスパッツを靴から外しているところで手の甲に金具をひどく打ち付けた。
手はみるみる紫色になり、青くなり、熱くなる。
急いで外の水場で冷やす。
岩歩きも雪道も無事だったのに、こんなところでおかしな怪我をしたものだなと思う。
水がちょっと触っても痛い。
やれやれ、まったくの自損事故。
救急キットは持ち歩いているので、湿布を貼ってバンドエイドで留めた。

白馬大池山荘は大きいがよい山小屋で、
夕食も美味しく、トイレは外にあって清潔だった。
100人くらいは宿泊していたのだろうか、
何組もの登山グループが、夕食後に談話室となる広間で唄を披露したりハモニカを吹いたりしている。
大にぎわいである。
それを何となく聴きながら寝袋に入って、しずかに明日のルートなど考えているのもほのぼのと楽しい。
男女別とはいえ、カーテンで仕切られているだけのことなので
談話室から帰ってきた登山グループの男たちがまだ寝るには早いと
二段になった寝所のあちこちに腰掛けて、
持参したお酒を飲んだり
奥さんが手作りして持たせたという漬物をふるまったり
夜遅くまでにぎやかに男同士のおしゃべりを楽しんでいる。

こんなふうにさ。
くたくたになるくらい歩いて、飯を食って、唄って、寝る、
こんなことが、ほんとうに楽しいんだよなあ、としゃべっている。
わたしも同感です、と思いながら眠りにつく。






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