活版印刷には以前から興味がありました。
宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』には、
ジョバンニが活字を拾う(アルバイト?)のシーンがあります。
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家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲がってある大きな活版所にはいって、靴をぬいで上がりますと、突き当たりの大きな扉をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついて、たくさんの輪転機がばたり、ばたりとまわり、きれで頭をしばったり、ラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いておりました。
ジョバンニはすぐ入り口から三番目の高いテーブルにすわった人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚をさがしてから、
「これだけ拾って行けるかね。」と言いながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人のテーブルの足もとから一つの小さな平たい箱をとりだして、向こうの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁のすみの所へしゃがみ込むと、小さなピンセットでまるで粟粒ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。
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このシーンを読んだとき、粟粒ぐらいの活字を拾うという行為がとても神聖なものに感じられたものです。
まさしく言葉を一心に拾い集めて、ことだまを宿しているような行いにも見えますね。
実際にやってみると、うん、確かにこれは一字一字に心を遣う作業。
漢字の一つを、膨大な量の活字の中から探すというのは、ほんとうにその字を求める気持ちがなければ、けっこう途中でいやになってしまうかもしれません。
そのぐらいの労力がいる作業。なんといってもキーボードで打つのとは違います。
粟粒の文字たちを「何か歌うように読んだり数えたりしながら」というのは、つい、そうなってしまうもの。
口ずさみつつ、無心になっているんですね。
私は、名刺大の文章に使う活字を拾うのに一時間半。一枚ずつ刷り上げるのにまた一時間半かかりました。
当然ながら、とても肩がこり、目が乾きました。
ジョバンニも、「何べんも目をぬぐいながら活字をだんだんにひろ」ったと、記述があります。
「小さな平たい箱」の中にはる活字を拾ったとあるから、ジョバンニはアルファベットの文字を拾っていたのかも知れません。
並び合った「p」と「q」、「i」と「j」には、きっと彼も苦労したに違いない。
活版の作品も、次回の個展でお目見えの予定です。
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