村上春樹著・安西水丸画による『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を再読していて
思わず息をのむ章があった。以下に引用したい。
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世の中に「これからの二十一世紀、日本の進むべき道がよくわからない。見えてこない」と発言する人々がいるけれど、そうだろうか?僕は思うのだけれど、現在我々の抱えている最重要課題のひとつは、エネルギー問題の解決ーー具体的に言えば、石油発電、ガソリン・エンジン、とくに原子力発電に代わる安全でクリーンな新しいエネルギー源を開発実用化することである。もちろんこれは生半可な目標ではない。時間もかかるし、金もかかるだろう。しかし日本がもとまな国家として時代をまっとうする道は、極端にいえば「もうこれくらいしかないんじゃないか」と、五年間近く日本を離れて暮らしているあいだに、実感としてつくづく僕は思った。
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もちろん私達がここで連想するのは2011年の東日本大震災である。
震災によってまさに今私たちの目の前に差し出された原子力発電に代わるエネルギー源問題である。
驚くべきは上記村上さんの著作は1997年の発刊だということだ。
私たちはいったい、数々のメッセージを、数々の悲鳴をどれほど聞き逃してきたんだろう?
村上さんは2009年のエルサレム賞スピーチでもこう述べている。
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「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私達を殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効率的、組織的に殺させ始めるのです。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられうことを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。
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村上さんの警鐘は一貫している。それは2011年6月、まだ記憶にあたらしいカタルーニャ賞スピーチでも続く。長い引用を許してください。
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今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。
どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
答えは簡単です。「効率」です。efficientcyです。
原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問をいだき、原子力発電を国の制作として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30%が原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。
まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。
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なんと、先を見通す目であったことか。まさに今、「地獄の蓋を開けた」ような私たちの未来は、21世紀が始まる前から、先人たちが予期していたものだったのに。
今でもはっきりと思い出せるのだが、私は、震災直後、食料がスーパーマーケットから一時的になくなったときに、自宅の保存食のストッカーを開いて食べられるものを探し、その中に祝島産のひじきを見た。そのひじきのパッケージに書かれている「原発に頼らない町を」の文字を見つけたとき、私は呆然とした。
山口県の祝島は上関原発の建設を30年反対している瀬戸内海の小さな島。その名産のひじきは反原発の趣旨の文章が記されたパッケージに入って、ぎゅっと詰められていた。寒い時期に、島人の手で捕られ、丁寧に加工される細かいひじき。
何も知らない私は、ただ美味しいと食べて、また輪ゴムで封をしてストッカーにためていた。
そんなふうに、だいじなことを、真剣な人々の思いを、輪ゴムで簡単に封をして、災厄の時が来るまで忘れて、開けずに、考えずに、「保留」の棚に置きっぱなしにしていたのだ。そのことに呆然とした。
震災もショックで、原発事故もショックだったけど、これはわたしにとって第三番目の震災ショックだった。私の心を震源とした激震、私の中の災害。
村上さんは風を読む人。この騒音だらけの世界において、何に耳を澄ますべきか気づいている人だ。ただ好きで、空気のように村上さんの文章を吸い込みたくて著作を繰り返し読んでいるけれど、彼のメッセージはときどき私を砂嵐の中に連れてくる。
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ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。
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「海辺のカフカ」のなかで、冒頭に「カラスと呼ばれる少年」が「僕」に語りかける言葉。
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だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。
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私はそんな砂嵐を想像する。いつだってそうだった、やってきた困難は、どこか知らない場所から来た知らないものじゃなくて、私の中にある場所から私に向かってやってきたものだった。どんな邪悪なものも、虎視眈々と狙っていたのだ、嵐となって骨を砕く風が空高く舞い上がるのを。否応なくそれに巻き込まれて悲しさ虚しさに絶望しても、結局私の中のナイフは私の右手を切り落とすことはできないのだ。私たちが私たちの社会を完全に絶望することが不可能なように。
原発も、社会の中に可能性として歴史的に含まれ続けた毒が、いま大地震をともなって表出したに過ぎない。祝島のひじきも、含まれたメッセージがいま初めて私に咀嚼されるのだ。
「カラスと呼ばれる少年」の言葉は続く。
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そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。
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日本がもとまな国家として時代をまっとうする道は、極端にいえば「もうこれくらいしかないんじゃないか」と、15年前の著作で村上さんが伝えた、原発に代わる新しいクリーンエネルギーの普及を、わたしたちはこの社会の中で大切に育んでいけるだろうか。いや、わたしたちがこの困難をくぐり抜け生きのびるためには、なんとしても育んでいかなければならない。形而上的で象徴的な砂嵐を抜けて。でも温かくて赤い、リアルな血は、この災厄によりすでに多くの人の生身の体から流れている。そしてそれは私自身の血でもあるのだ。
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