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新年あけましておめでとうございます。
元日の朝、近くの海まで歩いて初日の出を見に行きました。

日が昇る直前の海は、明るい銀色で、柔らかい朱色が波ごとに差し込み、空気は冷たく清張。
一年の始まりにふさわしい、気持ちのよい時間でした。

ばらばらに集まってきた人たちが皆、同じ方向を向いて、静かに海の果てを見つめている。
ただ、世界に光が差し込む瞬間を、寒さの中じっと待っている。
そのことが、日が差し込むよりも前に、私の心をじーんと暖めました。

以前に登った富士山でも北アルプスの燕岳でも、こんなふうに美しい日の出を見たことを思い出しました。
たくさんの見知らぬ人々と、ひとつの美しい景色を分け合うのって、本当にいいものですね。


今年がよい年になりますように。
みなさん、今年もどうぞよろしくお願いします。

年賀状2018web.jpg


(今年は戌年ということで、うちの犬も年賀状に初登場。
娘たちも昨年の年賀状と見比べると、ずいぶん成長が伺えます。
ふだんなかなか家族の絵を描くことができないので、年賀状は貴重な機会でありがたいです。)


精悍な獣

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松濤美術館で開催中のクートラス展に行こうと、Bunkamura前の坂をゆるく登っていた午後3時、
なんと、田中陽希さんとすれ違いました。
「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」で有名な、
プロアドベンチャーレーサーの陽希さんです。

びっくりして声を上げそうになっちゃいました。
山じゃなくて、こんな都会のただ中で遭遇するなんて。
彼はあっという間に渋谷の人混みに消えていってしまいましたが、
その顔はまっすぐ前を、瞳は遠くを見て
肩は大きく、手足は長く、黒々と日焼けした肌は無駄なく引き締まり、
迷いなく歩き去るその姿は、チーターとかヒョウとか、精悍な獣みたいに見えました。

ここのところ毎朝
グレートトラバースが再放送しているので、
いつもそれを観ては今日もがんばろうなんて思っていたところ
まさかの遭遇、きっとこれはわたしの春一番。

さあ、あたらしい季節の到来だ。風立ちぬ。いざ。



司馬遼太郎の「坂の上の雲」をNHKドラマで見た人は多いだろう。
美しい山上の道が、光る雲へと続いていくエンディング。
今回歩いたのはまさにその道。

白馬大池から白馬岳へのルートの途に、小蓮華山(2766m)がある。
駅前で手にしたパンフレットで、この小蓮華山が、上述の映像のロケ地であると記されていた。
私はそれを偶然目にするまで、まったく知らなかったから、
あこがれを誘うあの道が自分が歩くルートにあると知って驚いた。
いつか歩いてみたいと思っていた道が早くも目の前に現れている。
出会いというものは人であれ物であれ、こんな風に予告もなく現れるものだ。


白馬大池山荘の朝。窓の外には厚いガスが広がっている。
山荘前のテン場では色とりどりのテントが手際よくたたまれてゆき
ゴアテックスに身を包んだ登山グループたちが出発の準備を整えている。
私は5時に朝食を摂り、5時半にさっさと出発。
このあたりも一人なので気楽なもの。ぐずぐずしない。

行く手は既に森林限界を超えた美しい超越の地となっており
巨大な鯨のようにゆっくり進む雲の真中を、足元を確かめつつザクザクと進む。
時折雲の切れ間に遠く近く、雪を湛えた山の腹が白く光る。
小気味良く登りを楽しみ、軽く体が汗ばんできたところで振り返ると
白馬大池は早や、はるか下方に湖面を湛えている。
湖岸北、白馬大池山荘の赤い屋根が小さい。

小蓮華山へ続く登りは雷鳥坂と呼ばれている。
茂みの向こう側からひょこひょこと雷鳥が現れそうな雰囲気がいかにも漂っていて楽しい。
日本海側からの雲がここで雨を降らすのだろう。このあたりは高山植物も多い。
コマクサ、チングルマたちが高所の風にひっきりなしに吹かれて揺れている。
朝露を受けて細かな水滴をダイヤのように散りばめている花々。
天上にはイワツバメが舞う。空気はどこまでも冷たく、静か。
このような道が「坂の上の雲」の道なのだった。
雲の中に入ったり出たりしながら、いつまでも続いてほしい道を登る。


頂上に鉄の剣が指された小蓮華山を過ぎると
新潟・富山・長野の境となる三国境という地に至る。
ここから1時間もせずに白馬岳山頂にたどり着くが悪天候のため眺望は得られず。
この先白馬三山と呼ばれる杓子岳、鑓ヶ岳を歩いても良いのだが、
小蓮華ルートの楽しさが心にあって、歩を進めるのが惜しい気もする。
白馬山荘で少し休んでからもう一度白馬岳を目指してみようと思い、
小一時間ほど小屋の部屋で横になる。
相部屋の人々が入ってくる音でまどろみから醒めると、なんと窓の外の雲に切れ間が。
鉛色の雲が流れ飛び、澄んだ青い空が高く広がり始めている。
ああ、待っていて良かった。
いま白馬岳に登ればきっと美しい景色がある。
ザックから簡単な装備だけ取り出して身軽に登れば山荘から15分で山頂に着く。
登っているうちにも空はみるみる晴れて、さらに昂揚する。
西側はゆるやかな傾斜が広がるが
東側はきりたった崖のような山頂である。
何匹ものツバメたちが喜びの表現のように美しい弧を描いて高く低く飛んでいる。
360度に広がる眺望を見渡し、顔を真上に向け、瞳でツバメを追っているうちに
崖に落っこちそうになり、しりもちを着く。
しばらく崖のきわで、そのままぼうっとしている。
うっかりと死にそうになった。
ばかだなあ、と自分を叱りながら、
でもその後で、じんわりと幸福に包まれる。


白馬岳(2932m)は日本百名山のひとつ。
でも私には山の価値は百名山であることには由来しない。
歩いた道のり。雨風を受けて咲く花や息づく動物たち、山を包む大気そのものを含めての、自然というものの価値。
そしてその大いなる自然と、自然のごく一部である人が関わるという価値なのだ。
私にとってはこの白馬登山は白馬岳にあるのではなく、
さみしげな暗い湿原の中に、
山を愛する人々の言葉の中に、
人知れず揺れているワタスゲの白い穂の中に、
イワツバメが空に描く円の中にある。
坂の上の雲の主人公達には目的地があったのだろうか?
彼らもまた、時代の昂揚の中に生きていた。
隣に死があり、孤独があったが、同時に
おおきな何かの中に生きているという魂の充実があっただろう。
それは彼らの生き方、平坦ではない道を自分の足で歩くという
意志と行為から生まれる価値なのだろう。


私は白馬山荘に一泊した後、
天候悪化の判断により白馬三山の縦走はあきらめて
翌朝早々に白馬大雪渓を下って下山した。
惜しい気持ちはない。
山は決して動かずに、また何者かが訪ねてくる日が来るのを
何千年も、何万年も待っている。





この夏は、北アルプスへ行った。
大学ではワンダーフォーゲル部だったので
グループでは縦走をしたことがあるが、独りでの縦走は初めてになる。
初ルートでもある。
大げさに言うと単独初縦走。
さて、無事行って来られるか?


昨年も訪ねた八方尾根自然研究路にまず足を運ぶ。
通常、唐松岳から不帰キレットへと縦走をしていくルートをとるのが多いルート。
私は日程の都合上いったん里へ下りて栂池方面から今回の大きな目的地のひとつ、風吹大池へ向かう。


北アルプス最大の山上湖、風吹大池の標高はおよそ1800m。
栂池から美しい天狗原へ登り、北に進路をとる。
湿地らしい、ぐずぐずして細かいアップダウンを繰り返す千国揚尾根を3時間近く歩く。
ここは眺望もほとんどなく、あまり愉しい山歩きとは行かない。
ほとんど誰ともすれ違わないし、どことなく裏寂しい北アルプスの陰色をかんじる。

そのうちに風吹手前の風吹天狗原に着く。
暗い千国揚尾根を休みなく歩いてきた者の目には
風吹天狗原の一面のワタスゲは天国に見える。
ひらけた視界のすみずみまで真白のやわらかいワタが、風に吹かれて波打っている。
なんともやさしい風景。
ここに独り立っていることの幸福に包まれる。
ここまで来れば風吹山荘はつづれ折りの道を降りるだけで、もうすぐ。

風吹へは人があまり行かない。
アクセスの良い場所とは言えないし、縦走ルートからは離れている。
主稜線から離れることで静かな山歩きが楽しめるから良いと
白馬岳まで登らず、風吹の山小屋に泊まってゆっくり写真などを撮っていく人も多い。
宿に泊まったのは私を含め5人ほどだったが、そうした趣向の山旅の人々がほとんどであった。


翌朝は池を一周するがもうひとつ天気が悪く、
池は空を映すので風吹大池も空の気分のまま、どんよりとした顔つきをしている。
山荘で食卓を囲んだ旅人に勧められて池奥の花畑「神ノ田圃」まで行く。
細かな花々が美しいが、残念ながら昨日の風吹天狗原ほどの感激をもって迎えることはできない。
天候が心配であり、これからまた千国揚尾根を登って主ルートに戻り、夕方前には白馬大池に着いていたい。
山荘の主人はゆっくり立てば充分だと遅立ちを勧めるが
風吹大池をすべるように流れる雨のような色の雲を横目に見て、足早に去ることにする。
やがて風吹山荘の主人が池の周遊路に伸びた竹を伐る音が後ろから聞こえてきた。


風吹山荘で一泊の後はメインルートに戻って白馬大池へ。
やはりメインルートの楽しさというのは確実であった。
大きな岩を飛ぶように足場を目測で選び進み行く爽快感。
7月でも残雪、白馬乗鞍岳のトラバースも楽しい。
天候がかなり崩れて来ているので、実際には短い雪道ではあったが
ガスで全く先が見えずにずいぶん苦戦する。目印に張られたロープが頼りになる。
軽アイゼンを装備したグループと何回も行き交う。
アイゼンがないとやはり滑るから、一歩に力が入りにくい。

広々とした台地に出るがここで遠雷が聞こえ始める。
そうなるだろうと予感していた。
ともかくゴアテックスをさっと着込んで先を急ぐことにする。
ゴツゴツした大きな安山岩が白馬大池へ向けて長く続く。
それを無心でひょいひょいとこなしていく。


昨年も唐松岳の帰りで雷に出会った。
あのときは雷雲が下から上へと迫ってきて怖かった。
でも、自然の中にいることが嬉しかった。
昨年歩いた八方尾根のすばらしさが忘れられず、
また今年も白馬方面へ来てしまったのだ。
山上に誰のためでもなく空を鏡に映す八方池のたたずまいに
なにやら胸の奥がざわざわと風が吹くようにさざめいて
家に帰ってからも、机上に山の地図を広げては
次はどのルートで歩くか、次はこの池も見るかと
ルートを白紙に記入しては架空の旅路に心を通わせていた。


雨に打たれ歩くうちに、白馬大池山荘に到着する。
雷の緊張から放たれて、安堵感があったのだと思う。
小屋の入り口で、受付をとりあえず済ませた後、
泥よけのスパッツを靴から外しているところで手の甲に金具をひどく打ち付けた。
手はみるみる紫色になり、青くなり、熱くなる。
急いで外の水場で冷やす。
岩歩きも雪道も無事だったのに、こんなところでおかしな怪我をしたものだなと思う。
水がちょっと触っても痛い。
やれやれ、まったくの自損事故。
救急キットは持ち歩いているので、湿布を貼ってバンドエイドで留めた。

白馬大池山荘は大きいがよい山小屋で、
夕食も美味しく、トイレは外にあって清潔だった。
100人くらいは宿泊していたのだろうか、
何組もの登山グループが、夕食後に談話室となる広間で唄を披露したりハモニカを吹いたりしている。
大にぎわいである。
それを何となく聴きながら寝袋に入って、しずかに明日のルートなど考えているのもほのぼのと楽しい。
男女別とはいえ、カーテンで仕切られているだけのことなので
談話室から帰ってきた登山グループの男たちがまだ寝るには早いと
二段になった寝所のあちこちに腰掛けて、
持参したお酒を飲んだり
奥さんが手作りして持たせたという漬物をふるまったり
夜遅くまでにぎやかに男同士のおしゃべりを楽しんでいる。

こんなふうにさ。
くたくたになるくらい歩いて、飯を食って、唄って、寝る、
こんなことが、ほんとうに楽しいんだよなあ、としゃべっている。
わたしも同感です、と思いながら眠りにつく。






先日、初めてお会いする方々と相模湖から高尾山まで山歩きをしました
不思議なのが、全員初対面なのに
ずいぶんどこか、親しみやすいような...
そう、名前を覚えていないけど懐かしい、同窓会のような感じがしました。
ひょっとして?と声にも出さず思っていたら
仕事も住む場所も違うけれど、やっぱり皆さん、歳がほぼ同じでした。
みんなでそのことに気がついて、「そうか」と皆で膝を打ったり。可笑しかったな。


子どものことに夢中になったものが同じで、
どんなものが面白かったか、
どんなものを不正と感じたか、
同時代を生きた少年や少女は、大人になっても、どの時代でも、
まるで忘れていた鉱脈のありかを思い出したみたいに
ふとした折に、心によみがえってくるもの。




道尾秀介さんの本を読んだことはありますか?
私はありませんでした。
以前に、TVで道尾さんが出ていたことがあったので、
メディアのおかげで、肝心の著作よりも先に、顔かたちを知りました。

直木賞を受賞されたときの映像だったと思います。
「白目のおおきな人だ」
と思いました。
「たぶん、わたしはこの人と、この人の本をあまり好きではないだろうな」
と勝手に(非常に勝手に...)、思いました。
だって、私も自分の目の白いところが気になることがあるから。
自分の気にしてる部分を人のなかに見つけると、ちょっと目を背けたくなりますよね?
そんなかんじ。

どういう訳があったか、直木賞受賞作「月と蟹」を近くの図書館で借りました。

私はいつも、何かの賞の受賞作なんて気にしたこともありません。
それは絵についてもそうです。

持論ですが、
およそ賞と名の付くものは、
それまでのその人の実績を踏まえた上で
安定感よし、ではこのあたりで表舞台に出しても良かろう、というタイミングで
選者の思惑の内に決定されるものと私は認識しています。
選に出すことで、選ぶ側も目を問われる訳だから、当然選者もいろいろ考えるでしょう。
もちろん例外もありますが。
(春樹さんは初めて書いた小説で群像新人賞を受賞しましたから!)

さてさてその図書館は、手書きのランキングが出入り口に貼ってあり、
どの本がよく貸し出されているか、どの本が予約が多いか、
トップ20くらいまで逐一分かるようになっています。
その内容が(小さな町だからか?)けっこう意外性があって
都会の大型書店のランキングには並ばなくなった本が上部に突然せり出してきたりして面白い。

個人的に村上春樹さんが大好きなので、その名前が上部に張り出されているのを
図書館に行くたびに目で追っていたら、
自然に目に入ってきた人が道尾さん。
こういうのも、まあ、縁ですよね。



「月と蟹」は鎌倉が舞台となった小説ですが、
実際読んでみると、道尾さん自身取材時に葉山に行ったと言っていただけあって、
海と町の近さや岩場の感じなどは鎌倉よりも葉山を感じさせます。

恐ろしげな昔の遺構、家族の抱えた過去、
読んでいるうちにこどもたちの心が沁み込んで来て、淡い波頭のように砕ける。
みずみずしい小説、それに少しミステリック。
謎のような、絵のような場面が重なって行く。

少年たちが見た建長寺の十王岩がどうしても自分の目で見たくなって、
読み始めた次の日に、舞台になった建長寺奥の山道を歩きに行ったり。
(昼間でも薄暗くて、誰もいなくて本当に怖かったな。)


この小説は確かに面白い小説でした。
直木賞の重みは私には分からないけど、
私から特別賞を贈りたい(また勝手な...!)と、思う。
他の人はどう感じるかわからないけれど、
この小説を書いた人は、私と同じ時間をこの世界で生きてきた人なんだ、と私は肌で実感する。
そういうのって、特別な気持ちです。
大げさに言うと、生きていく上で大切な気持ちです。


こうなってくるともう、
受賞の瞬間にぼんやりと顔を上げた道尾さんの頭のかたちとか
「何でもないよ、こんなこと」と言わんばかりに表情をぴたりとも動かそうとしないこと、
そのくせあの大きな白い目がきょろっと動いて、
ほんとは諸手を挙げて大喜びしたいんじゃないか?なんてことが
同じ白い目を持つ私には、解ってしまうことが、
なんだかすべて楽しいというか、
自分のことみたいに嬉しいんだ。




さて、初めて読んだ作品が気に入ると、あなたは次に何を読みますか?
デビュー作に手をつけるのもいいし、
最新作も捨てがたい。
今回道尾さんの作品をすっかり気に入った私は、
昨年ポプラ社より刊行されたエッセイ、「プロムナード」を選びました。

上記した相模湖~高尾の山歩きの際も、大きなザックにぽいっと放り込んで、
電車の中などでよんでいると、ああ楽しい。
もうすぐ読み終わってしまうのが惜しい。

でも、これから私が歳を重ねるのと同じように、
道尾さんも作品を出していってくれることが嬉しい。
私たちが大事にしてきたものを、ちゃんと根底からわかってて作品にしてくれる。
そういう作家さんがいるからこそ、私も制作を頑張ろうという気になるってものです。

道尾さん、頑張ってね!















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