2016年の秋は、4年ぶりの個展を、大磯のギャラリーにて開催します。
愛知県に生まれ育ち、大学から京都、そして夫とともに東京から神奈川と移り住んできたなか、
愛知でも、京都でも、東京でも、展覧会をしてきたはずなのに、
はじめて、いま、「じぶんが住んでいる場所」で展覧会をする、という気持ちになっています。
不思議。なんで?と、ちょっと考えてみました。
それは、ひょっとしたら、この大磯という土地が、
「じぶんで、ここに暮らすと決めた」、はじめての場所だったから。かもしれません。
(生まれた場所でもなく、大学があった場所でもなく、夫の仕事の都合上でもない。)
(「風の鎮魂」 長谷川誠子 3号F 紙本着彩 2012 個人蔵)
誰の人生にとってもそうであるように、わたしの行先にも常々びゅうびゅうと風が吹き付けていて、
それは急峻な山の稜線上を歩くがごとく。足元に注意しなければ転げ落ちそう、
湧き上がる霧に視界は遮られて道は果て見えず。
でもこれは私が選んだ道。
ああ、海が見たい。東京近辺で、海の近くに住もう。
東京に住んで3年後だったか、そんなふうに夫婦で決める年の、その少し前に、
私は単に旅行者として大磯に来たことがあった。
(村上春樹のエッセイに出てくる大磯の描写が好きで、いつか自分の足で歩いてみたいとずっと思っていたのでした。)
まさかその時は、じぶんがこの土地に住むことになるとは知らない。
はじめてのちいさな町を、徒歩で、自転車で。観光地図を片手に、右へ左へ。
路地あり、路地の先に地域の祭があり、海あり。
黒い浜に荒い波。たくさんのサーファーが波と遊ぶ。
岩礁に飛び交うレモン色の鳥。
碧い海の背中に優しく連なる山々あり。
山のふちまで人の生活があり・・・でもその先は深い森の緑。
夜になれば海も山も、まったくの闇になる。
吸い込む空気は、くっきりと、澄んだ森の味。
観光案内所で、「ちょうど、城山公園でもみじのライトアップやっているから」と勧められたものの、
もみじのライトアップなぞ、そんなどこにでもあるような。と思っていたはずが。
池に映るもみじの赤は、実際のもみじより赤々と血のようで、動かない水面はまさに鏡。
夜を移す水の黒は宇宙の色、枝の張りは宙に伸びる無数の手。
本当よりもほんとうの世界が、そこに鏡写しに現れて、思わず吸い込まれてしまいそう、
しかし吸い込まれないように、池のふちで、世界の端で、この二本の足で、しっかりと立っていなければ。
ここに、立っていなければ、やばい。
手のひらの中におさまりそうにちいさい町なのに、思いがけないほど深い自然。
(海には飲み込まれないように、夜の森には、吸い込まれないように。)
その永遠のような「深み」と、人の感情や暮らしが、交わってある場所。
ここに暮らそうと決めて、移り住んでもう7年くらい経ちました。
その間に二人の子どもたちを授かって、大磯は、その子らの生まれ故郷になったのかと思うと、
なんだか、人生ってほんと、思いがけない。
個展は11月18日から、29日まで。
おそらく、城山公園のもみじのライトアップも、期間中に行われるのではと思います。
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