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文学のことの最近のブログ記事

涯しない世界の海辺に 子供たちが集まる。
頭上には 無窮の空が じっと身じろぎせず、
動きやまぬ浪が 騒々しい。
涯しない世界の海辺に 子供たちが集まって、
叫び 踊っている。

子供たちは砂で家を作り、貝殻で遊ぶ。
枯葉で小舟をあみ、愉しげに 広い海に浮かべる。
子供たちは 世界の海辺で 戯れ遊ぶ。

子供たちは 泳ぎを知らないし、網打つ術も知らない。
真珠採りは 真珠を求めて海にもぐり、
商人は 船に乗って航海する。
そのあいだも、子供たちは 
小石を集めては、また撒きちらす。
子供たちは 隠された宝を探そうとはせず、
網打つ術も知らない。

海は 高らかに笑って 波立ち、
渚の微笑は かすかに碧白くきらめく。
死を売り歩く浪たちも 子供たちには
意味のない唄をうたって聞かせる
ー揺籠を揺り動かすときの母のように。
海は 子供たちと遊び、
渚の微笑みは かすかに碧白くきらめく。

涯しない世界の海辺に 子供たちが集まる。
嵐が 道なき空を徘徊し、
舟は 航路のない海で難破し、死が蔓延する、
それでも、子供たちは戯れ遊ぶ。
涯しない世界の海辺に 子供たちが群がり集まる。

R・タゴール 森本達雄訳


1913年にノーベル文学賞を受賞したベンガルの詩聖、
ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)の詩です。

海って不思議ですね。
震災の後は、特にそう思います。






村上春樹著・安西水丸画による『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を再読していて
思わず息をのむ章があった。以下に引用したい。

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世の中に「これからの二十一世紀、日本の進むべき道がよくわからない。見えてこない」と発言する人々がいるけれど、そうだろうか?僕は思うのだけれど、現在我々の抱えている最重要課題のひとつは、エネルギー問題の解決ーー具体的に言えば、石油発電、ガソリン・エンジン、とくに原子力発電に代わる安全でクリーンな新しいエネルギー源を開発実用化することである。もちろんこれは生半可な目標ではない。時間もかかるし、金もかかるだろう。しかし日本がもとまな国家として時代をまっとうする道は、極端にいえば「もうこれくらいしかないんじゃないか」と、五年間近く日本を離れて暮らしているあいだに、実感としてつくづく僕は思った。
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もちろん私達がここで連想するのは2011年の東日本大震災である。
震災によってまさに今私たちの目の前に差し出された原子力発電に代わるエネルギー源問題である。
驚くべきは上記村上さんの著作は1997年の発刊だということだ。
私たちはいったい、数々のメッセージを、数々の悲鳴をどれほど聞き逃してきたんだろう?

村上さんは2009年のエルサレム賞スピーチでもこう述べている。

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「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私達を殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効率的、組織的に殺させ始めるのです。
私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられうことを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。
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村上さんの警鐘は一貫している。それは2011年6月、まだ記憶にあたらしいカタルーニャ賞スピーチでも続く。長い引用を許してください。

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今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。
どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
答えは簡単です。「効率」です。efficientcyです。
原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問をいだき、原子力発電を国の制作として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30%が原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。
まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。
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なんと、先を見通す目であったことか。まさに今、「地獄の蓋を開けた」ような私たちの未来は、21世紀が始まる前から、先人たちが予期していたものだったのに。

今でもはっきりと思い出せるのだが、私は、震災直後、食料がスーパーマーケットから一時的になくなったときに、自宅の保存食のストッカーを開いて食べられるものを探し、その中に祝島産のひじきを見た。そのひじきのパッケージに書かれている「原発に頼らない町を」の文字を見つけたとき、私は呆然とした。
山口県の祝島は上関原発の建設を30年反対している瀬戸内海の小さな島。その名産のひじきは反原発の趣旨の文章が記されたパッケージに入って、ぎゅっと詰められていた。寒い時期に、島人の手で捕られ、丁寧に加工される細かいひじき。
何も知らない私は、ただ美味しいと食べて、また輪ゴムで封をしてストッカーにためていた。
そんなふうに、だいじなことを、真剣な人々の思いを、輪ゴムで簡単に封をして、災厄の時が来るまで忘れて、開けずに、考えずに、「保留」の棚に置きっぱなしにしていたのだ。そのことに呆然とした。
震災もショックで、原発事故もショックだったけど、これはわたしにとって第三番目の震災ショックだった。私の心を震源とした激震、私の中の災害。

村上さんは風を読む人。この騒音だらけの世界において、何に耳を澄ますべきか気づいている人だ。ただ好きで、空気のように村上さんの文章を吸い込みたくて著作を繰り返し読んでいるけれど、彼のメッセージはときどき私を砂嵐の中に連れてくる。

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ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。君はもう一度足どりを変える。すると嵐もまた同じように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰りかえされる。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。

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「海辺のカフカ」のなかで、冒頭に「カラスと呼ばれる少年」が「僕」に語りかける言葉。

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だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、あるばあいにはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。そういう砂嵐を想像するんだ。
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私はそんな砂嵐を想像する。いつだってそうだった、やってきた困難は、どこか知らない場所から来た知らないものじゃなくて、私の中にある場所から私に向かってやってきたものだった。どんな邪悪なものも、虎視眈々と狙っていたのだ、嵐となって骨を砕く風が空高く舞い上がるのを。否応なくそれに巻き込まれて悲しさ虚しさに絶望しても、結局私の中のナイフは私の右手を切り落とすことはできないのだ。私たちが私たちの社会を完全に絶望することが不可能なように。
原発も、社会の中に可能性として歴史的に含まれ続けた毒が、いま大地震をともなって表出したに過ぎない。祝島のひじきも、含まれたメッセージがいま初めて私に咀嚼されるのだ。

「カラスと呼ばれる少年」の言葉は続く。

*****************
そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかもたしかじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。
*****************

日本がもとまな国家として時代をまっとうする道は、極端にいえば「もうこれくらいしかないんじゃないか」と、15年前の著作で村上さんが伝えた、原発に代わる新しいクリーンエネルギーの普及を、わたしたちはこの社会の中で大切に育んでいけるだろうか。いや、わたしたちがこの困難をくぐり抜け生きのびるためには、なんとしても育んでいかなければならない。形而上的で象徴的な砂嵐を抜けて。でも温かくて赤い、リアルな血は、この災厄によりすでに多くの人の生身の体から流れている。そしてそれは私自身の血でもあるのだ。












先日、初めてお会いする方々と相模湖から高尾山まで山歩きをしました
不思議なのが、全員初対面なのに
ずいぶんどこか、親しみやすいような...
そう、名前を覚えていないけど懐かしい、同窓会のような感じがしました。
ひょっとして?と声にも出さず思っていたら
仕事も住む場所も違うけれど、やっぱり皆さん、歳がほぼ同じでした。
みんなでそのことに気がついて、「そうか」と皆で膝を打ったり。可笑しかったな。


子どものことに夢中になったものが同じで、
どんなものが面白かったか、
どんなものを不正と感じたか、
同時代を生きた少年や少女は、大人になっても、どの時代でも、
まるで忘れていた鉱脈のありかを思い出したみたいに
ふとした折に、心によみがえってくるもの。




道尾秀介さんの本を読んだことはありますか?
私はありませんでした。
以前に、TVで道尾さんが出ていたことがあったので、
メディアのおかげで、肝心の著作よりも先に、顔かたちを知りました。

直木賞を受賞されたときの映像だったと思います。
「白目のおおきな人だ」
と思いました。
「たぶん、わたしはこの人と、この人の本をあまり好きではないだろうな」
と勝手に(非常に勝手に...)、思いました。
だって、私も自分の目の白いところが気になることがあるから。
自分の気にしてる部分を人のなかに見つけると、ちょっと目を背けたくなりますよね?
そんなかんじ。

どういう訳があったか、直木賞受賞作「月と蟹」を近くの図書館で借りました。

私はいつも、何かの賞の受賞作なんて気にしたこともありません。
それは絵についてもそうです。

持論ですが、
およそ賞と名の付くものは、
それまでのその人の実績を踏まえた上で
安定感よし、ではこのあたりで表舞台に出しても良かろう、というタイミングで
選者の思惑の内に決定されるものと私は認識しています。
選に出すことで、選ぶ側も目を問われる訳だから、当然選者もいろいろ考えるでしょう。
もちろん例外もありますが。
(春樹さんは初めて書いた小説で群像新人賞を受賞しましたから!)

さてさてその図書館は、手書きのランキングが出入り口に貼ってあり、
どの本がよく貸し出されているか、どの本が予約が多いか、
トップ20くらいまで逐一分かるようになっています。
その内容が(小さな町だからか?)けっこう意外性があって
都会の大型書店のランキングには並ばなくなった本が上部に突然せり出してきたりして面白い。

個人的に村上春樹さんが大好きなので、その名前が上部に張り出されているのを
図書館に行くたびに目で追っていたら、
自然に目に入ってきた人が道尾さん。
こういうのも、まあ、縁ですよね。



「月と蟹」は鎌倉が舞台となった小説ですが、
実際読んでみると、道尾さん自身取材時に葉山に行ったと言っていただけあって、
海と町の近さや岩場の感じなどは鎌倉よりも葉山を感じさせます。

恐ろしげな昔の遺構、家族の抱えた過去、
読んでいるうちにこどもたちの心が沁み込んで来て、淡い波頭のように砕ける。
みずみずしい小説、それに少しミステリック。
謎のような、絵のような場面が重なって行く。

少年たちが見た建長寺の十王岩がどうしても自分の目で見たくなって、
読み始めた次の日に、舞台になった建長寺奥の山道を歩きに行ったり。
(昼間でも薄暗くて、誰もいなくて本当に怖かったな。)


この小説は確かに面白い小説でした。
直木賞の重みは私には分からないけど、
私から特別賞を贈りたい(また勝手な...!)と、思う。
他の人はどう感じるかわからないけれど、
この小説を書いた人は、私と同じ時間をこの世界で生きてきた人なんだ、と私は肌で実感する。
そういうのって、特別な気持ちです。
大げさに言うと、生きていく上で大切な気持ちです。


こうなってくるともう、
受賞の瞬間にぼんやりと顔を上げた道尾さんの頭のかたちとか
「何でもないよ、こんなこと」と言わんばかりに表情をぴたりとも動かそうとしないこと、
そのくせあの大きな白い目がきょろっと動いて、
ほんとは諸手を挙げて大喜びしたいんじゃないか?なんてことが
同じ白い目を持つ私には、解ってしまうことが、
なんだかすべて楽しいというか、
自分のことみたいに嬉しいんだ。




さて、初めて読んだ作品が気に入ると、あなたは次に何を読みますか?
デビュー作に手をつけるのもいいし、
最新作も捨てがたい。
今回道尾さんの作品をすっかり気に入った私は、
昨年ポプラ社より刊行されたエッセイ、「プロムナード」を選びました。

上記した相模湖~高尾の山歩きの際も、大きなザックにぽいっと放り込んで、
電車の中などでよんでいると、ああ楽しい。
もうすぐ読み終わってしまうのが惜しい。

でも、これから私が歳を重ねるのと同じように、
道尾さんも作品を出していってくれることが嬉しい。
私たちが大事にしてきたものを、ちゃんと根底からわかってて作品にしてくれる。
そういう作家さんがいるからこそ、私も制作を頑張ろうという気になるってものです。

道尾さん、頑張ってね!















心からの問いを誰かに投げかけたいとき
あなたはどこへ行くだろうか?
友達のところ?恋人のところ、家族のところ?

例え身近に誰もいなくても、もしあなたが
笑い事や皮肉では済ませられない人生の出来事にあたったとき
あなたの心を支え、次の一歩への後押しをしてくれる、
あなただけの神さまが住む場所があるのではないだろうか?
それは誰も踏み込めない、あなたが生きているということの証、あなただけの心の領域。

古代ローマの人々は、各家の中や街角に
Lararium(ララリウム)と呼ばれる小さな祭壇を作ったといいます。
壁を掘ったようなつつましい空間に素朴な絵で彩りを施し、
時に応じて祈りを捧げていたようです。

神棚も仏壇もない現代の家でも、
それぞれの心の中には、大切な場所があります。
私は絵を描くという行為を通じて、何度も問いかけをし、祈り、
私のこの辛く不安に満ちた制作を、どうか支えてほしいと願いをかけ続けてきました。
その祈りは、誰かに届くようなクリアな言葉には決してならないけれど、
わたしの身体を通して反響し、私を鍛え、描き続ける勇気を与えてくれているように思います。

ミンカで空の子どもを読む.gif

「空の子ども」の著者である坪内政義さんは、
何でもない日常の出来事を書きながら、静かに時が重なっていく美しさや悲しさを
誠実なまなざしで見つめ、文章で表現しています。
短くても、素晴らしい小説なのに、外に出さないことがもったいなくて、
今回、私が本にしてもよいか尋ねたところ、快諾してくださいました。

著者の持つ世界を、私の造本でどこまで表現できるだろうか。
文字組や装幀にこだわり、何度も失敗を重ねながら、この本を造りました。
最後に出来上がったとき、私の心は震えました。
この本は、私の手を離れて、人の心に寄り添うような美しい作品になったのではと思います。
写真は、北鎌倉のミンカという喫茶室で撮りました。


私の本の作品は、今回の個展でも「空の子ども」以外に
「青空切符」という手製本作品を出品していますが
この「空の子ども」をもって、塚本誠子の小出版の初作品、
Lab.Lararium(ラボ・ララリウム)によるLararium Books(ララリウムブックス)の初刊行作品にしました。
小出版、リトルプレスとは、大手出版社の流通を通していない本ということです。
できるだけ自分の名前を出さずに、本の著者を引き立てたいので、
編集や造本の著作名はLab.Larariumと呼ぶことしました。


あなたの本当の問いかけを捧げる場所。
あなたを支え、勇気づける、あなただけの神殿。
そうした場所の名をいただいて、
これからも、本当に良いと信じるものをつくりたい。
初めて作品を生み出したときの、心の震えを忘れずに。
このささやかに連なる日々の中で。
祈るように。






「星に会う」

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賀状を書く季節になると、必ず思い出す詩があります。
柏木義雄さんの「星に会う」。
十年くらい昔に新聞で見、どこかに書き写したものの、
転居を重ねるうちに失くしてしまっていました。
それを、
このあたらしい年の最初の朝に、やっと見つけました。
新年の言祝ぎとして、ここに記します。

「今年」なんて年はなし、すべてが「今日」の繋がり。
あたりまえのような一日が、尊く繋がってゆく。
どうぞよい日々を。
皆さまにとってよい年となりますよう。

_____________________

星に会う
                         柏木義雄
祥門瑞雲
賀詞のかたわらに
〈そのうちに会いたし〉
と書きそえて
そのうちがいつか
十年経った
門は傾き
雲が近付いては遠く去った

なにもかもが急ぎあしで
見送るのが日課となった
舞い上がる鳩の群
人々の背や 歳月の列車
地球をぬらす涙も歌も
 だが

お腹をすかした手が
乾いた土から生えて
枯れ草のようにそよいでいる
その握りしめていた
小さな花は忘れない

みんな同じ船で時代を漂うボートピープル
きっと今年は
美しい星に会える
光のしずくが
果実の房となってゆれる
そんな森があるような

魂の帆をつくろいながら
ゆめの行方をたしかめたい
〈会いたし〉と
あの時以来
誰に賀状を
送り続けたのだろう
宇宙へのひとひらの
花びらのように

_____________________



銀化・秋の別所jpg.gif

秋の真っ直中にいて、遠く澄んだ空などを見ていると少し
漱石の「草枕」などに出てくる若い絵描きの言葉を考えてみたり。


**************************
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い。

**************************


画家という使命‥。
この若い絵描きは言葉を尽くして自分の今/社会の今を表現してる。
ここで漱石が、画家の使命は「降る」と表現しているからには
画家って、やはり「受け取る者」なのではないかしらと思う。
たとえば秋の空の下、天から降ってくる何かを受け取って、
それを自分というフィルターを通して生まれる表現にして、つむいでゆく者なのではないのかな。
私はきっと、アニミズム的であると思う。
宗教でなくても、尊い気持ちが降りてきて自分を貫いて、まるで巫女のように、舞うように、表現に変換したくなる。

リルケの詩「秋」はキリスト教的とも読めるけれど、
もし宗教というものをまったく知らない人物が最期の一行を読んだら
一体この手の存在を、どう捉えるかしら。



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秋 

(富士川英郎訳)

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

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